コメッセージ252号   2017年5月号

 

412日早朝の5時、ジリリ〜ン....ジリリリ〜ンと枕元の携帯が鳴りました。

あわてて取ると、父の入院先の病院からで「○○病院の看護師ですがお父様の具合が悪いので、

すぐに来てもらえますか.....」とのことです。

それからすぐに家内を起こし、妹に電話を入れ身支度をして5:15過ぎには家を出、病院には

25分頃着いてすぐに病室に入ったのですが、その時にはすでに父は帰らぬ人となっていました。

ほんとに数分というタッチの差で臨終の場には間に合わなかったのです。

 昨年1月に母を亡くしたばかりでしたが、よもや父がこんなに早く逝ってしまうとは思いも

よらぬことではありました。

齢(よわい)87、あと1ヶ月で満88歳、満年齢の正味米寿を迎えんとする直前でした。

認知症が進んだとはいえグループホームでの生活は、暖かく、きちっと33度のごはんは食

べられるし、体温や血圧も毎日測定してもらえ、定期的なお医者さんの訪問診療もあり、お風呂

やトイレも介護士のサポート付きで健康面、衛生面は家族による在宅介護などと比べて格段に優

れていたものと思います。

ですから始め44日、「少し微熱があるのが気がかりで病院で診察を受けたところ、肺炎を起

こしているとのことでそのまま入院することになりました」とグループホームから連絡を受けた

時にはそれほどの大事とは思えず、私や妹が皮膚科や歯科に度々連れて通院したことぐらいにし

か感じ取れなかったのです。

しかしそうした思いは入院初日、担当医から具体的な病状を聞かされるに及んで吹き飛んでしま

いました。

担当医の曰く「胸のCT写真を見る限り決して予断を許さない重篤な状況ですので、ご家族の

方々など連絡しなければならないところはしておいた方がよろしいでしょう」....ガーン!!

 入院当初、認知症の本人には病気という意識がないのでしょう、酸素マスクやら点滴の管を外

す行動がひどく、やむなく両手足の自由を奪うような形で治療をせざるをえませんでしたが、ひ

どく嫌がる父の姿を見ていて、これが最良の方法かととても辛く、悲しい思いをしたものです。

2日、3日と経つうちにみるみる体力も落ち、とうとう5日目ぐらいからはほとんど手足を動か

すこともなく意識もないような状態になり、それまでは握りしめていた手に力があったのに全く

反応がないようになってしまいました。

もう恐らくどんな治療をしても回復の望みは叶わない......ことだけは確かなようです。

 父母は生前2005年から尊厳死協会に入っており、無理、無駄な延命治療はしないで欲しいと

の意志表明したカードを持っておりました。

医師との最後の面談の折、そのカードを提示しながら治療法の確認をさせていただきましたが、

同じ肺の病気だった母の最後、その10日間ぐらいが私にしてみれば無駄な、母にはただただ苦

痛の10日間だったような気がしてなりませんでした。

母の顔は苦し気で呼吸は荒く、痩せこけた胸ばかりが激しく上下に動くのです。

父にはなんとしても同じ苦しみをさせたくはなかったので、薬で生かすのではなく自然に安らか

に死を迎えさせてやって欲しいと医師には頼みました。

死の瞬間には間に合いませんでしたが、触れた額、頬、握った手にはまだぬくもりがあり、その

表情は本当に穏やかで、彼岸で待つ母もきっと惚れ直す、そんないい顔ではありました。

 

 


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