コメッセージ250号   2017年3月号 

「う〜むっ.....このイスと机はもういらないなぁ.....」と部屋から玄関先に運びます。

おびただしい家財家具、食器、衣類、書類、書籍、写真、ビデオテープ、家電製品、装飾品など

が部屋中に出され、仕分けしながら、ゴミ袋やダンボール箱に入れ軽トラックに積み込んで、こ

れまで6台ほど市のクリーンセンター(ゴミの最終処分場)に持ち込みました。

日が長くなってきた先月後半ぐらいから、住む人のいなくなった隣の母屋の後片付けをしてい

るのですが、父母と私の妹、弟の40年分、そして私の家族の17年分、さらにそれ以前の家

(祖父母や曾祖父母)の分まで、いつのものか判らないものまで含めてあるわあるわ、とにか

く良くこれだけため込んだと思わずにはいられません。

 

 和服の類は既知の呉服屋さんに買い取りを依頼し、家電、オーディオセット、書籍はネットで

い取り業者を調べてこれまた査定をしてもらいましたが、ほんとにガク然とする金額で“お宝”

といえるような物件は何ひとつありません。

着物類は12,000円、家電、オーディオ、絵画の類が11,500円、書籍、レコード、ビデオの類

がなんとたったの56円!....母の形見でいかにも金目になりそうな数少ない貴金属、宝飾関

係のものはすでに分け合っていて含まれていないので仕方ないこともありますが、それにしても

ゴミにするにはもったいないものがなんと多いことか!

新品を購入したときはさぞ高かったはずであったが処分するというと、よほどのブランド品かは

たまた極端な希少品でもないかぎり本当に二束三文になってしまいます。

1970年代から90年代にかけては高度成長期からバブルと、とにかく大量生産、大量消費、

消費は美徳とまで言われた時代でした。

その流れに沿って大家族で貧しい幼少期を過ごした父母にとっては、豊かさ=物、と捉えたとし

てもいたしかたなかったのではないかと思います。

私も少なからずその恩恵に与った一人として、クリーンセンターのおびただしいゴミの量を見る

たび、こんなことをいつまで続けられるんだろうか?.....いやいや続けられるハズがない

ではないか....という反省の気持ちと、どうしたらゴミを出さない暮らしができるだろうか

ということに自然に思いを馳せてしまいます。

物とは言っても簡単に捨てることもできず、金に代えられないものがこれまたたくさんありま

す.....日記、記念写真、子どもの絵、作文、賞状.....そして究極は仏間の御先祖様達

の遺影。古い日記をパラパラめくり、ふと読み始めるともうヤバイです。

写真を整理していると、ついつい見入ってしまい片付けの手が止まってしまいます。

でも不思議なものですね、当初、心の中でゴメン、ゴメンと繰り返しながらの丁寧な?選別も、

時間が経ち同じ事を繰り返しているうちに慣れてくるのか断捨離、断シャリ、ダンシャリ.....

まるで呪文を唱えるように結構大胆になってきてタイトルと年代を見て、あっ、これはいいわと

捨てる方のダンボール箱に入れるようになってしまいます。

挙げ句には始めにはとっておいたものまで、再び選別しなおして捨てる方にまわしたりして。

ついつい物事、自分中心にして考えてしまうもので、これが家内であったり、息子、娘、更に孫

たちの立場に則って考えるようにすると、割とスッキリ判断が付けやすくなるものですね。

 

 私が亡き後にはきっと、何でじいちゃんこんなものとっておいたんだろう、邪魔くさいったらあ

りゃしない....とおおかたゴミ扱いするに違いないのです。 

 

 


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